ユニクロと原宿店

フリースブームの火付け役となり、ユニクロの成長に大きな影響を与えた店舗といえば、1998年にオープンしたユニクロ原宿店です。

原宿店のオープン前の宣伝効果、及び、1900円フリースの商品の魅力で、あっという間にユニクロは全国ブランドとしてのし上がりました。

ユニクロ原宿店は当時のユニクロ店舗の中では珍しい都市型店舗で、郊外店のような大きな看板もなく、店の密集した路地のビルの一つに構えられた店舗です。

オープン当日は来客で長蛇の列ができ、入場制限をするほどの賑わいでした。当時は関東のユニクロ店舗はまだ少なかったため、関東近辺の人で交通費をかけてユニクロ原宿店に足を運ぶ人が多くいました。

今では関東近辺のユニクロ店舗も増えたため、ユニクロを目的に原宿へ来る人は少なく、原宿にきてユニクロがあったから立ち寄ったという人がほとんどです。原宿と言う特殊な街では、ユニクロにブランドとしての知名度や話題性がなければ立ち寄る人は少ないのが現実です。

2007年4月に原宿店はTシャツ専門店「UT STORE HARAJUKU.」に姿を変え、再びオープンしました。これはもともと原宿店が手狭だったことと、好評を得ているTシャツプロジェクトの強化をはかるためです。

Tシャツ専門店「UT STORE HARAJUKU.」は、豊富なデザインと低価格な商品が人気を集め、20代の若者を中心に多くの人が訪れています。国内外の観光客の土産などにも多く利用されています。

原宿はファッション産業が密集し、競合の激しい街です。ユニクロ原宿店はTシャツ専門店に変わった今も、ユニクロが消費者に受け入れられているかを判断する重要な役割を担っています。

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ユニクロの「成長」について

ユニクロは1984年、広島市の一号店から始まりました。

新たな経営方式や高収益体制や、新しい企画の打ち出しなどの結果、目覚しい成長を遂げ、今日に至ります。

そして、ユニクロを経営しているファーストリテイリングは、2000年にインターネットによる通信販売を開始しました。

購入者の利便性を考慮した仕組みになっているこの販売方法は消費者に受け入れられ、開始以降、着実に売り上げを伸ばしています。

そして、今後も一層の成長が見込まれています。

ユニクロの直営店舗についてですが、2001年には国内で500店舗を超えました。

その後、海外進出の足がかりとしてイギリスのロンドンに出店し、2002年には中国の上海市、2006年にアメリカ、ニューヨーク市に1000坪ものグローバル旗艦店、ユニクロ ソーホー ニューヨーク店を出店するほどまでになりました。

しかしながら、2002年頃には売上が大きく落ち、業績不振に陥ってしまいます。

しかしその後、デザイン機能の強化・有名タレントの起用・国内外ブランドの買収など、いろいろな対策を施し、持ち直しに成功しました。

2003年にはカシミヤ・浴衣へ参入。

2004年には水着への参入。

ユニクロの扱う商品はカジュアル衣料には留まらず他分野に渡っています。

そして紳士衣料からスタートしたユニクロですが、今では若者からキッズ、ベビーまで幅広い年代の商品を扱うまでになりました。

ユニクロは現在もまだ成長を続けており、今後が期待されています。

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